2009年にお亡くなりになった、動物行動学者日高敏隆さんのエッセイ『世界を、こんなふうに見てごらん』
やさしく心をノックするようなこのタイトル自体がとても好きです。
学者さんのエッセイといっても、なにか雑学的小ネタになるような知識を散りばめたものではなくて
ユーモアたっぷりに人の考え方や感じ方をやわらかく解きほぐすような内容になっています。

日本になかった動物行動学というものの学会を日高さんが立ち上げたころ科学とは「なぜ」を問うものではなかったのだそうです。
どのように動いているかは問うてもいいが、なぜそのように動くのは問うてはいけない。
それじゃあ学問とはいえないんじゃないかと思った日高さんの、やってきた具体的な仕事研究のあれこれは面白く、考え方はこころに響くものがあります。
なんでだろ?と思ったことを考える。そして具体的に観察を繰り返してなにか答えのようなものが出る。でもさらに観察をつづけると答えに合わないものがでてきて、そこであたらしいなぜが生まれる、その積み重ね。誰かを説得しようと思わず、粛々と自分のおもうようにやるのがいい。そもそも科学というものは役にたとうとしてやるものではないから。
そして「科学的に見ないととちゃんと正しくものが理解できない」というような空気が世の中にはあるけれど、じゃあ科学的に見ればちゃんとものがわかるというのは、ほんとうのことなんだろうか、とも言います。
著者が翻訳した『鼻行類』という本について触れられているのですが、それがその答えになっていて、非常にユニークです。
『鼻行類』というのは、今は消滅した群島に生息していた鼻で歩く奇妙ないきものについてドイツの学者が書いた本で、非常に具体的なその生態と解剖図までのっているのだそう。それを読んだ人たちは「嘘に決まってる」といった人もいたけれど、それを信じる研究者もたくさんいました。周囲の非難に対して返した言葉が、「人間はどんな意味であれ、きちんとした筋道がつくとそれを信じこんでしまうということがおもしろかったので、そのことを笑ってやりたいと思って出したのです。わたしたちはこっけいな動物だということを示したかったのです」。
意地悪だなあと思わなくもないですが、笑ってもしまう、とても好きなエピソードです。そして『鼻行類』がとても読みたくなってしまいます。

この日高さんという人は科学をするひとだけれど科学を絶対視してはいないし、真理のようなものは人が見たいように見ているだけのまぼろしだと思っています。
そのうえで、寄って立つ地面を持たずにいることは不安かもしれないけれど、だからこそ楽しいんじゃないかなと、世界を楽しんで見るためのヒントをくれているのでした。
その視線は不安にひるまない、好奇心いっぱいの子どものよう。
学問って、いつまでも真面目に遊ぶということなのかもしれません。


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2013年2月6日更新
『世界を、こんなふうに見てごらん』 日高敏隆

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