僕は空を飛べる。
ただし、10センチだけ。

このお話の主人公は大学4年生、就職活動をしなくてはいけないのにどこを向いて頑張ったらいいのかわからず立ちすくんでいる。得意なことも向いていることも思いつかず、取り立てて熱意もなく、自分がなにをしたいのかわからずに。
そんな主人公が持っている特殊能力が、10センチだけ空を飛べること。

空を飛べるといったらわくわくするような設定なのに、この物語のなかでそれはむしろ地に足がつかない不安な浮遊感。ヒーローのように活躍もできない中途半端な能力は、むしろ自由に飛び立つことのできない自分を象徴しているようですらある。
そんな悩みをラジオ番組に相談したところから、そもそもなぜそんな能力を得たのか、すっかり忘れ去られていた記憶を探る僕の物語がはじまります。

わたしは自分が10代のころ良くラジオを聴いていたので、とても懐かしい気持ちでこの物語を読みました。
お気に入りのパーソナリティーと、リクエストやメッセージを送る常連のリスナーたちの、不思議な連帯感。
声だけだから、匿名だから、夜だから?
きっと普段は話さない素直な気持ちがそこにはあって、それを茶化さない真摯さもあって、ただ音楽を聞くのともテレビを眺めるのとも違う、ひとりなのにひとりじゃない不思議な感覚でした。

主人公がラジオを介在に忘れていた大切な記憶を取り戻したとき、空を飛べるという奇跡のような能力の意味はまるっきり変わります。そして自分にとっての奇跡をおこせると思える仕事へと向かっていきます。
肩肘のはらない前向きさがすとんとおちてくるこの物語はわたしにとってのラジオのイメージそのもの。
青臭くて照れくさいようなことでも、不思議とそっぽをむかずちゃんと受け取れる。そんな青春小説なのです。


pigeon bookstock RSS2.0 Feed on Feedburner


2013年2月10日更新
『10センチの空』 浅暮三文

ファンタジー フェア帯 日本の物語