ー「あ」が使えなくなると、「愛」も「あなた」も消えてしまったー
裏表紙の内容紹介の、印象的な一文。
何かの比喩ではないのです。
この小説では、実際に一音ずつ言葉が消えていく。
そうして表現する言葉を失ったものも、すこしずつ世界から消滅していくのです。

主人公は作家自身。
自分の存在する虚構世界の言葉の音を減らしながら、残された音で自覚的に物語を紡ぐ構造です。
自身の首をしめるように言葉を減らしながらも、文体は流暢なもの。
後半はさすがに不自然な言い回しが増えてはきますが、それでもその表現には唸らされてしまいます。
名前を失っただけで急に不確かな存在になってしまうもののなんと悲しいこと!
文学賞発表の場で受賞した作家が消失してしまっても、目的をなくしたまま集う人たちの滑稽さ。
固有名詞を失った妻は消えてしまったけれど「妻」というぼんやりとした存在はあり続け、タイトルをなくした本は手にとることもできないただの背表紙に、決まり言葉を失ったウエイトレスは人ではない何かのように。
そして作家自身の意志すら、表すことができなくなればないものと同じものなのです。

実験的な文章ながら、技巧への感嘆をこえて、読ませる小説になっていることがすごい。
消えているはずの音が使われてしまっていたりしないのかと、おもわず間違い探しの視線で読みながらも、その虚構世界にひきこまれてしまいます。
断筆宣言前の、作家筒井康隆の凄み、ここにあり、です。


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2013年2月23日更新
『残像に口紅を』 筒井康隆

日本の物語